札幌高等裁判所 昭和55年(く)31号 決定 1980年12月17日
少年 K・T(昭三七・五・二生)
主文
原決定を取り消す。
本件を札幌家庭裁判所に差し戻す。
理由
本件抗告の趣意は、附添人弁護士○○○○が提出した抗告申立書に記載されたとおりであるから、これを引用する。
所論にかんがみ、本件少年保護事件記録及び調査記録を精査検討すると、少年はこれまで中学一年生のころスーパーでの万引のため補導された以外には補導歴こそないが、中学校を卒業した昭和五三年三月以降、寿司屋、おでん屋あるいは深夜喫茶で短期間稼働したことがあるだけで、それ以外殆んど職業らしい職業に就こうとせず、特に昭和五四年一一月からは収入がないのに部屋を借り、実母からの経済的援助に依存しながら無為徒遊の生活に浸り、その間ホステスと親しくなりその居室で泊るなど放縦な日々を過ごすようになり、そのころ好奇心から覚せい剤の自己使用を始め、本件非行時(昭和五五年九月二三日)まで実母が所持する覚せい剤を盗用したり、後記のW・Iから貰い受けて二〇ないし三〇回にわたりその使用を繰り返していたばかりか、未成年の友人A子に働きかけて同女に覚せい剤を有償譲渡したことも少なからずあるなど、最近の少年の行状は覚せい剤事犯への非行傾向を急速に強めていること、少年の実母は、昭和四九年九月当時小学生の少年を引き取つて夫(少年の父)と協議離婚し興業師のW・Iと内縁関係に入つたが、同人は覚せい剤の常用者であり、実母も同人に勧められて覚せい剤を相当頻繁に使用するようになり、遂に昭和五五年九月一九日覚せい剤取締法違反のかどで逮捕され、その直後少年は本件非行に及んだが、これにより少年が身柄を拘束されている最中の同年一〇月二七日同法違反罪により懲役一〇月、執行猶予三年の有罪判決を受けたものであるところ、少年の前記非行性は実母及びW・Iとの生活の中で醸成されたものであること、原決定当時、少年と実母との精神的結び付きは強く、実母はW・Iとの関係を清算することに曖昧さを残したまま少年に対する溺愛から自分と一緒に生活しようと働きかけ、少年も実母の右意向に盲従する態度を示していたため、少年の伯父(実母の兄)が少年を引取つて保護監督する旨申し出ていたが少年が伯父方に落着く見込みはなかつたこと、少年は、怠惰な生活に深くなじんでおり、自己中心的で他人の意見を受容する素直さに欠け、規範意識も乏しく、生活全般が無気力かつ投げやりであるなど性格的な偏りがみられるが、本件非行(覚せい剤の自己使用)で調査のため鑑別所に収容されてからも、実母の生活態度を容認し、非行に対る内省が深まらなかつたことが認められる。
右のような諸事情を考慮すると、少年の非行性進行の程度及び保護環境の劣悪さは原決定中「処遇の理由」に記載されたとおりであり、少年に性格的な欠陥もないわけではないが、その非行性は、前述の家庭環境によつて、すなわち適正な保護監督の欠如によつて醸成されたものというべく、かつ、内容的にも、前記万引以外は覚せい剤事犯に限られていて、これは少年の母やその内縁の父からの影響によるものと考えられ、従つて、保護環境の調整如何によつては、なお原決定と異なる保護処分を選択する余地が残されていたものというべきところ、前述のとおり、実母は少年の本件非行後覚せい剤事犯で有罪判決を受け、執行猶予中の身となつたのであるから、実母の今後の改悛(覚せい剤との絶縁)も一応は期待しうるし、更に当審で取り調べた資料によれば、少年の伯父(実母の兄)T・Uは永年○○営林署に勤務し現在その○○主任の職にあるが、少年を引取つて保護監督しその矯正改善に努力するのは勿論、職業の斡旋補導に尽力する旨確約しており、T・Uの家族もT・Uの右計画に賛同し少年を迎えるべく受入態勢を整えており、一方、少年の実母は原決定後自己の盲愛によつて少年を本件非行に走らせた責任を痛感し、自分や前記W・Iに少年を近づけないようにしようと決意し、昭和五五年一一月一二日、少年に対する保護監督を全面的にT・Uに委ねたが、更に同日少年と面会しその趣旨を伝えて新しい環境での更生を諭したこと、少年は更生への意欲を覚醒され伯父の指導監督に従う決心を固め、同月一七日北海少年院に面会に訪れた伯父と今後の生活方針を語り合つたことが認められ、このような原決定後の事情の変化をもつてすれば、原裁判所がした保護処分決定(中等少年院送致)はそのまま維持するのは相当でなく、右事情を参酌してもなお少年に対し施設収容の上集団的矯正教育を施す必要があるか否かということ、又、仮に施設収容とするならば、執行機関に対する短期処遇勧告をすべきか否かということを再検討すべき事態に立ち至つたものと判断され、結局、原決定はその処分に著るしい不当があると認められる。論旨は理由がある。
よつて、少年法三三条二項、少年審判規則五〇条に従い、原決定を取り消したうえ、本件を原裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定をする。
(裁判長裁判官 山本 卓 裁判官 藤原昇治 田中 宏)
〔参照一〕 抗告申立書
抗告の理由
原決定は、以下に記載する理由により著しく不当である。
一 (審判後の事実)
1 少年の母T・Y子は、本件決定がなされた直後に、少年の伯父であるT・Uより母親としての適格性の無さを指摘されて非難を受け、同人に、以後の少年の保護監督をなさしめるべき旨の説得を受けた。
同女は、自己の盲愛により少年を本件犯行に走らせ、引いては少年院送致の止むなきに至らしめた責任を痛感した為に、昭和五五年一一月一四日到達の当職宛ての手紙(写添付(編略))により、同手紙の発送日である同月一二日に、少年院へ少年を面会に行くことを最後に少年の保護監督を中止して以後伯父T・Uに一切の保護者としての権限を委ね、かつ、少年との消息を断つ旨及びその旨を同日少年自身に面談して納得させる旨を伝えている。
2 少年は、昭和五五年一一月八日、当職との面会において、少年院送致処分が(本抗告により)一時的なものであろうと究極的なものであろうとも、右退院後は必ず伯父と同居し、伯父の監督に服する旨を約している。
なお、右の点につき、少年は審判前の同年一〇月二五日、前記伯父との面会時において、処分等終了後は、母と共に伯父宅へ同居して伯父の監督に服する旨を約し、かつ少年の住居である○○荘の荷物を伯父宅に運搬しておいて欲しい旨を求めていたものである。
しかしながら、その後の同月二七日、母T・Y子が執行猶予判決により釈放され翌日少年と面会して伯父とは性格が異なりすぎ、一緒に暮らさない旨を告げて、少年の決心を変えたものである。
その延長として調査官との面談や、審判廷において母T・Y子が「兄の厄介になる気はない。私とK・Tとで暮らす。」旨述べ、かつ、少年自身も、その母の方針に盲従していたものである。
二 (伯父T・Uによる保護の現実性)
1 前記T・Uは、現在、○○営林署○○の○○主任を勤める国家公務員であり、北海道紋別郡○○町に居住している。
同町と本件審判等のなされた札幌市は、国鉄の走行距離にして約三〇〇キロメートル有り、国鉄の便も非常に悪く、一泊二日で往復する事も大変な作業である。
同人は、少年が一〇月八日に逮捕されてから、一〇月一〇日ないし一二日、同月二五日ないし二七日、一一月六、七日と三度に渡り来札しているが、同人も責任ある地位にあり、むやみと休暇は取れない事、同人も又、二人の子供を持つ一家の柱である事、を考えるなら、その努力及び少年に寄せる愛情は極めて顕著なものがある。
2 同人の職場は、現業作業員を多く保有する営林署であり、その地位から見て、臨時の作業員採用の融通が非常に容易な立場にいる。
しかも、同人が営林署職員として勤続した現在までの三〇年間程の期間は全て、現業作業員を直接監督し、指図する第一線の指揮者であつたものであり、青年労働者の指導には万全の自信を有し、その点は、非行歴のある作業員に対しても全く変わらない。
右の如き地位、経歴を有するからこそ、同人において、自信を持つて少年を更生させうる旨を明言しているものである。
3 (一) 残る問題は、少年自身の伯父の監督に服する旨の決心とその持続性である。
(二) 少年の性格の特徴としては無気力さと母への強い愛着心が挙げられる。
(三) 通常であれば、思春期以降に継父となつた人間に対しては、反抗的となるものであるが、少年においては、継父W・I(司法警察員○○○○作成の少年事件送致書によれば、継父K・Sが覚せい剤乱用者である旨記載されているが、同人は実父であり、かつ犯罪とは全く無関係である。右は継父W・Iとの混同であることは明白である。)に対しても強い親しみを寄せている。
しかしながら、右W・Iに対する親和性にしても結局は母親に対する親和の別な表現に過ぎない。
(四) 右母親に対する愛情の強さは、少年の本件逮捕の機縁が覚せい剤使用者でありながら、勾留中の母親に面会するためにO署を訪れたことにある点からも明らかである。
(五) 少年は、昭和五四年一一月から右逮捕時まで、実母夫婦とは別居している形式を取つていたが、実際には、実母がほぼ毎日食事の用意に通い、こづかい銭まで与え、かつは、覚せい剤まで盗用されるまま放置していたものであり、その過保護の程度は異常なものがあり、又少年の依頼心の程度も極めて強いものがある。
(六) 以上のとおり、同人において、保護者の手を離れて自立する能力も気力も現在において無い事は明白である。
(七) 従つて、少年が実母自身により、伯父の保護監督下に入る旨を指図され、かつ、実母との直接、接触を断たれた現在においては、伯父に対する依頼心が高まつているのであり、伯父の保護監督下で安住しうる可能性は非常に強い。
(八) 又、実父も少年が伯父の保護監督下に入る事に賛成し、有形無形の応援をなす旨を誓つている。
三 (結論)
1 少年には、本件以前一八歳に至るまで保護処分歴はもとより、非行歴、補導歴は一切無い。
2 少年は中学卒業後、前記昭和五四年一一月頃まで職業としては余り好ましくはないが「おでん屋の手伝い」、「喫茶店ウエイター」「興業師手伝い」等に従事してそれなりの勤勉さを有していたものである。
3 確かに右時期以後より逮捕に至るまでの覚せい剤使用回数は二〇ないし三〇回と多く、その生活態度は厳しく指弾されるべきであるが、これも又少年の実母、継父の生活を思えば彼らの悪影響を受けたことは無理からぬ点がある。
4 以上記載の通り、少年には、真摯な反省の機会を与えられたのが今回始めてであり、かつ伯父による保護監督の準備(現在既に少年の荷物は総て伯父宅に運ばれていて、少年の部屋も用意されている。)がなされ、右保護による更生の可能性が非常に大きい事を考えるならば、同人を中等少年院に送致する保護処分に処した原決定は、重きにすぎて、著しく不当と言わざるを得ない。